長崎・島原の魅力

長崎・島原の魅力

島原には、美しい緑と水、そして歴史を感じさせる素晴らしい建物や文化が溢れています。
皆様どうぞ、一時の島原の旅をお楽しみください。

島原城

島原城

1618(元和4)年から7年余の歳月を費やして松倉豊後守重政が島原城を築きました。
本丸には五層天守閣を、要所に大小の櫓を配置した安土桃山期の築城様式を取り入れた城は、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏と4氏19代253年間の居城でした。
その後、明治の御一新で城壁だけを残し、天守閣をはじめ、すべての建物が解体されました。
しかし、1964(昭和39)年に天守閣が復元されたのをはじめ、櫓も復元され、現在、城内の建物はキリシタン史料館(天守閣)、北村西望記念館(巽の櫓)民具資料館(丑寅の櫓)などに利用されています。
なかでもキリシタン史料館は、有名なキリシタン大名有馬晴信(ドン・プロタシオ)時代に盛んであった南蛮貿易時代から、宣教時代・禁教時代・弾圧時代と続き、島原の乱関連の資料を展示されています。

島原の子守唄

島原の子守唄

島原駅の正面にある島原の子守唄の像です。
昔、島原半島や天草の農家の人たちは貧しさのあまり、自分の娘を売って生活をしていたそうです。
中国や東南アジアなどへ売られていったその娘たちのことを「からゆきさん」といいます。 島原の子守唄は「からゆきさん」の悲しみ、哀れさ、一方で「からゆきさん」をうらやむ貧しい農家の娘の心を描写したものといわれます。
下は島原の子守唄の六番まである中の一番の歌詞です。
最後の行の「久助どん」とは娘たちが売られていく時の仲介役をしていた実在の人だと言われています。

【島原の子守唄】

おどみゃ島原の
おどみゃ島原の
梨の木育ちよ
何のなしやら 何のなしやら
色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい
鬼の池ん久助どんの 連れんこらるばい

武家屋敷

武家屋敷

松井老舗の西側のすぐ近くにあります武家屋敷。この一帯は鉄砲町と呼ばれており、その言われは島原城の築城の時に、鉄砲を主力とする徒士の住居も建設され約690戸の屋敷があった事からと言われています。
また、碁盤の目のような町筋で隣家との間に塀が無く、鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたためとも言われています。
街路の中央には湧き水をひいた水路があり、飲料水、生活用水として大切にされてきました。
1868年の戊辰戦争では約260人の徒士たちが官軍に属して奥州へ出陣したという記録も残っています。

雲仙地獄

雲仙地獄

あたりには硫黄の匂いがたちこめる雲仙地獄。温泉街の中心で湯煙をあげる雲仙地獄は雲仙を代表する観光名所です。
白煙を上げているのは30あまりの硫気孔で、湯気の立ち上る元にはグツグツと高温の温泉が湧き出ています。
風向きにより湯気に囲まれてしまうと視界はほとんど無くなり、不思議な世界に誘われてしまうようです。

本光寺

本光寺

この地は16世紀中頃の島原の領主であった島原氏の居城「浜の城」の出城であった「丸尾城」の跡です。
端雲山本光寺は、松平氏が島原城主となって20年目の1689(元禄2)年に希声英音和尚によって開山され、松平家の菩提寺となりました。
松平氏歴代の藩主は松平氏の本願、三河国額田郡深溝の本光寺に埋葬されることになっていました。
境内には、松平家墓地、島原4代藩主松平忠刻が領内から17人の石工を選んで一人一体ずつ刻ませた十六羅漢があり、そのほか島原城内から移築された常磐御殿は、常盤歴史料館として貴重な文献や遺品などが展示されています。

島原観光公式ページ